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青く輝く海と白い砂浜の美しいビーチ風景。

Y.K

所属: 船舶部/船員/船団長代理
入社: 2011年度入社
出身: 国立唐津海上技術学校/本科

Y.K

「海図を変える仕事」で
豊かな暮らしと安全な航路をつくる

Y.K

タチバナ工業に入社したきっかけは?

海の仕事に惹かれた原点は、父の影響です。幼いころから港や船を身近に感じ、いつか自分も海で働きたいと思っていました。

タチバナ工業入社前は、ポンプ式浚渫船や深層混合処理船でのオペレーションに携わっていました。担当するプロジェクトの幅広さや、装置の特性に合わせて段取りを組む面白さに、強い魅力を感じていました。

一方で、一度陸の仕事を経験して視野を広げたい思いもあり、いったん退職。約1年、地元の佐賀で暮らしながら働き方を見直しました。

その頃、高校の同級生がタチバナ工業で働いていると知り、現場の話を詳しく聞く機会がありました。浚渫や港湾に関わる海上土木の比重が高く、現場ごとに最適解を探るスタイルに共感。自分の経験を活かせると確信し、入社を決めました。

どんな仕事をしていますか?

主に浚渫に関わる船上オペレーションを担当しています。潮・風・底質・周辺の航行状況など、同じ条件の日は一日もありません。機器の状態を見極め、掘削・排泥・運転を微調整しながら、安全と品質を両立させます。

一言で表すなら「海図を変える仕事」。測量結果や出来形の記録が積み上がると、航路の深さや幅が整い、やがて海図が更新されていきます。

船上だけで完結しないのも特徴です。資機材の準備や陸側の段取り、関係先との連絡まで含め、現場の条件に応じて最適解を組み直していきます。

見えないものを整え、社会の基盤を静かに強くしていく。その誇りを、現場の最前線で味わえるのが、この会社で働く一番の魅力です。

Y.K

印象に残っているプロジェクトは?

ベトナム・ラックフェン港の航路浚渫です。多数の作業船と企業が関わる大規模プロジェクトで、フィリピン人・ベトナム人のクルーと約2年間、同じ船団で働きました。

仕事内容そのものは日本と大きくは変わりませんが、船団長と船団長代理以外は現地クルー。規模の大きさに加え、言葉や文化の違いに最初は戸惑いました。英語が得意ではない自分にとって、「どう伝えるか」が最大の壁でした。ジェスチャーや図・写真、数字と時刻で合わせる方法を徹底し、合図や手順はシンプルな言葉に置き換えるなど、伝え方そのものを設計し直しました。

現地の人たちからは「言葉」だけでなく「仕事の進め方」も学びました。異文化の中で鍛えられた伝達と協働の感覚は、今でも確実に生きています。

職場(船内)の環境は?

プロジェクトの工期中は基本的に船内居住です。船内は個室も完備されており、シャワーや空調もきちんと管理されています。電波も安定して入る海域が多く、「動くビジネスホテル」のような感覚で過ごしています。

一人の時間も確保できます。私はバイクが好きなので、最近購入したヴィンテージバイクの整備を船内のスペースで楽しんでいます。若手の船員はクレーンでバイクを積み込み、各地でツーリングに行ったりしているようです。長時間を同じ船で過ごすからこそ、声を掛け合って安全を最優先にしながら、適度にリフレッシュできるサイクルを大切にしています。

チームとしての一体感と、個々のプライバシーの両立。そのバランスが取れているのが今の職場の良さです。

未来の後輩へのメッセージ

海や船の仕事に対し、厳しい環境を想像される方もいるかもしれません。しかし実際には、業界全体もタチバナ工業も日々改善が進み、設備や運用は着実に快適化しています。

入社して良かったと強く感じるのは、人に恵まれていることです。
情熱を持ちながら温かく支えてくれる上司がいて、意欲的な後輩も増えています。私自身、ここまで歩んでこられたのは、社内外の多くの方々の力があってこそです。そして、神戸での業務がきっかけで妻と出会えたことも、ここで働いたからこその大切なご縁でした。

この仕事は、港や航路という成果に結びつき、地域の暮らしを確かに支える仕事です。その意義と手応えを、ぜひ一緒に体感しましょう。

1日の流れ

朝礼、ラジオ体操、当日の作業確認(安全ミーティング)
現場へ移動、浚渫作業開始、クレーン作業orブリッヂ作業
昼食・休憩
クレーン作業orブリッヂ作業
待避場へ移動又は岸壁へ接舷、作業終了、片付け、ミーティング、終礼
青い海と空を背景に、元気よく腕を上げている若い男女のグループのイラスト。 青空と海を背景に元気よくガッツポーズをする若い男女のグループイラスト。

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